iVene’s diary

世界のクワガタ観察日記

ノセオニクワガタの色々

 Prismognathus nosei Nagai, 2000:ノセオニクワガタはミャンマー北部カチン州Karadapから初めて発見されたクワガタである。原記載では1997年、1998年、1999年の3年に分けて得られた15♂3♀がタイプに指定された。パラタイプ個体群の大半は売却されていたのを私の分類屋の友人が確保された。2000年代になってカチン州チュドラジやザガイン管区からも記録されている。

 後年にチベット・メトクやインド・アルナーチャル・プラデーシュ州東部からも見つかっている。

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(Myanmar, Sagaing管区からの♂個体。ミャンマー産としては大きめ)

 最初に私自身で観察出来たノセオニクワガタ個体群は、故・葛信彦氏が生前の折、即売会で並べられたミャンマー産クワガタの数個体だった。葛氏は「(原産地から個体数が)こないんだよね〜。こんな値段でも誰も見向きもしないんだから実情が知られてないとなんだねぇ〜」と気丈に話された。実際に手元に置いている人は少なく、私みたいな物好きが多数独占的に手元に置く。不人気だったおかげで私の資料集が潤う。

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(Myanmar, Kachin州各地からの個体群。様々なバリエーションがある)

 "オフィスカツラ"の名前で標本商をされていた葛信彦氏は良心的な人物として有名で、原産地やヨーロッパで仕入れた個体群を"原価に3割増した値段"で出品すると原則を決められていた。飼育個体の氾濫もなく競合他者も居ない、データで嘘を吐く人達も少なかった時代だからこそ成立していた標本商であった。だから輸入が可能だった当時はノセオニクワガタがいくら希少でも原価が安いから安価だった。葛氏はよく"原産地に入ってルートを開拓している訳でも無いのに必要以上な高値売買をして顰蹙を買う事"を恐れてもおられた。飼育個体は信用問題上扱いづらいからと扱われていなかった。読み辛い記載文や文献に対する愚痴では私とよく気が合った。

 当時のミャンマーからは沢山のクワガタムシが日本に齎された。新種が次々と見つかり深い種層を理解させたミャンマー北部のクワガタ群にノセオニクワガタも見つけられた。生体が日本に入ってきた事もあったろうか。しかしあっても一度きりだったような。

 人海戦術で沢山のミャンマー産クワガタが採集された時代は新しい知見に溢れ眩しい時代だった。ミャンマーでの個人採集が大変である事はノセオニクワガタの原記載が載る論文に書いてある。

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(「Nagai, S. 2000. Twelve new species, three new subspecies, two new status and with the checklist of the family Lucanidae of northern Myanmar. Notes on Eurasian insects No.3 Insects :73-108.」より引用抜粋)

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(「Yukinobu Nose. 1998. NOTES ON EURASIAN INSECTS No. 2. -BUTTERFLY- 1-104; pls. 1-46.」より引用抜粋)

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(「S. Nagai, 1998. NOTES ON EURASIAN INSECTS No. 2. -BEETLE- PRELIMINARY REPORT FOR THE SUPERFAMILY LAMELLICORNIAN BEETLES FROM THE KACHIN STATE, NORTH MYANMAR, COLLECTED BY THE NOSE'S EXPEDITION.」より引用抜粋。未記載時点の文献であったがノセオニクワガタらしきクワガタの形容表現が特筆される

 ミャンマーに10年以上毎年出入りしてきた人物によっても「まとまって採れない」と言われる。ミャンマーはそういう種が多く、実は未記録未公開のクワガタも見つかっていたりする(私の所にしか無い標本資料もある)。様々な紆余曲折を経て大体のミャンマー産クワガタは暴落の途に落ち着き、現在は中国人虫屋雲南省との国境付近で近しい虫を集める。

 黄色く明るい外見は目を引いたが、ミーハー屋が多い時代であったので、短歯しかいないノセオニクワガタは日陰者のような扱われようで、長歯が目立つスキットオニクワガタ(当時はルキドゥスオニクワガタとして流れた)が人気であった。色が綺麗でも、図体は大きくとも、このバランスを好む人は今でも少ない。当時は大コレクターと呼ばれる人達も手元に少し置くのみであった。

 オニクワガタ属は昔は人気があったが今は不人気である。この謎現象について度々友人達と激論してきたが分からずじまいだった。

 そういうのもあって私は不人気だとか人気だとかいう刹那的な流行りに乗るのは嫌いになっていたので、自身がクワガタに興味を持った頃から好きだったオニクワガタ属を継続的に集中して調べている。

 世界的に種数は少ないが良い種が多い。面白い。

 だがノセオニクワガタだけはオニクワガタの中でも安定して最も不人気な希少種であった。オウゴンオニクワガタより黄金らしく艶めかしい赤金色で綺麗な虫なのだが。。

 しかしとある日の或る場所で私は"従来の概念を覆す個体群"を目にしてしまった。"なんと美しい色形の稀型だろうか、これ以上のものは無い"と思った。私はノセオニクワガタを集中して調べる事にした。

 調べ始めた当時はミャンマー産も長らく少数しか手元になかったので、とにかく数を集めた。検証にはいずれかの産地のみでも沢山の個体数が必須である。ミャンマー産は♀が少ない。

 チベット産は中華鍬甲3に掲載があるものを含めても恐ろしく少ないが、とりあえず中国から入手が成った。他に所蔵している人はどれくらいいるのだろうか。チベット産について私の所には♀が多めだが、全てホソアカクワガタ属として売られていた誤同定個体群だった。

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(Tibet, Motuoからの個体群。80KやHanmiにいる。模様が薄かったり体色や体型も雰囲気が特異的だが、中華鍬甲3の文献掲載個体群も併せて見るに地域変異)

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(Tibet, Bomiからの♀個体群。2022年8月現在迄において文献上で此処からの記録は無い)

 インド・アルナーチャル・プラデーシュ州東部産も絶対必要と入手した。この産地の個体群も長年されてて"雀の涙"くらいしか資料が無い。件の稀型も其処でしか見つかっていないが、数頭しか無いため表だっては出てこない。どの産地も本当に少ない。

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(India, Arunachal Pradesh州東部からの個体群。ここの個体群が面白い。ここからも公式記録は無い)

 私が検証を始めた訳では無いが、既知産地資料群を集め、未記載の分類群があるか否か気になり検証をした。友人達と様々な議論をし何度も解釈が変わったりと大変だったが、なんとか結論は出す事ができた。

 検証結果として産地間差異はいずれも地域変異相当で、全てノセオニクワガタであり、新たな亜種学名を付けられる個体群は無いと成った。友人達のミャンマー産やインド産資料群にも助けてもらわねば考察が難しかった。そういう生物種である。

 発見者に敬意があるため此処では特徴を公開しないが、件の稀型が其の地域変異という状況を更に面白くしてくれる。分類学的にも生物学的にも面白く、最も興味深い分類群の一つ。

【References】

Nagai, S. 2000. Twelve new species, three new subspecies, two new status and with the checklist of the family Lucanidae of northern Myanmar. Notes on Eurasian insects No.3 Insects :73-108.

S. Nagai, 1998. NOTES ON EURASIAN INSECTS No. 2. -BEETLE- PRELIMINARY REPORT FOR THE SUPERFAMILY LAMELLICORNIAN BEETLES FROM THE KACHIN STATE, NORTH MYANMAR, COLLECTED BY THE NOSE'S EXPEDITION.

Yukinobu Nose. 1998. NOTES ON EURASIAN INSECTS No. 2. -BUTTERFLY- 1-104; pls. 1-46.

Huang, H., and C.-C. Chen. 2017. Stag beetles of China, Vol. 3. Formosa Ecological Company; Taipei, Taiwan. 524 p.

【追記】

 どれくらいノセオニクワガタが不人気で認知がされないかというと、ネット上で検索してもなかなかヒットしない。

 しかし、インド産についてもチベット産についても現状ではノセオニクワガタ再調査の目処は立っていない。

 ミャンマー産はタイ人や中国人がやっているようだがノセオニはここ数年ではごく少数しか扱われた形跡がない。昔のように人海戦術とはいかないだろうから難しい。

 チベット産分布域は規制が強化され、数多の中国人虫屋が原産地を出禁になっている。

 インドの或る地域から見つかっている稀型について私は其の個体数が微々たるものと知らされているが、近頃の情勢変化により今後二度と再調査が叶わないかもしれない。

デュブロンヒメヒラタクワガタの色々

 多数の孤島や諸島で構成される国、ミクロネシアは太平洋にある。そこにいるクワガタも特化していて面白い。しかし採集は困難である。

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ミクロネシア・チューク諸島ウェノ島のDorcus (Metallactulus) dublonensis Arrow, 1939:デュブロンヒメヒラタクワガタ。基準産地はデュブロン島。画像の個体は小型で、♀は頭部が少し奇形・片顎破損。とりあえず識別に困るような別種は見つかっていない。なお原産地は治安の問題で再調査は困難という話)

 ミクロネシアの絶海の諸島に分布がある事からサフル大陸の繋がりがあった頃に分化したろうと考えられる。緯度的にはインド亜大陸がユーラシア南端に接触したあたり、おそらく白亜紀末期〜始新世、あまり詳しくは特定出来ないが、その頃にインド亜大陸からスンダランドやサフル大陸の繋がった陸地を東へ移動したと予想する。近い地域に分布があるチビクワガタ類やネブトクワガタの仲間は、同じように移動したと考えられる。

https://sc888fba2c6537423.jimcontent.com/download/version/1619319712/module/13699480290/name/8-7.%20Coleoptera%2C%20Scarabaeoidea%20et%20al.pdf

(この報文中ではヤップ島産の"Metallactulus carolinensis (Arrow, 1939)"とした図示があるが、大まかな外見はデュブロンヒメヒラタに似る。図示個体は基準産地をポナペ島〜ヤップ島とされる"Metallactulus carolinensis"の担名タイプでは無いため詳細は不明だが、このヤップ島産はベニングセンヒメヒラタとは明らかに異なる。カロリン諸島は西にヤップ島、東にポナペ島、中間位置にチューク諸島がある。「"Metallactulus carolinensis"は"Metallactulus bennigseni Boilwau, 1910"のシノニム」とされている場合が多いが、其れは誤りかもしれない)

https://fanblogs.jp/anotherstagbeetlesofworld/archive/226/0

 しかし、こういう養殖もされていない判別にも困らない種群はデータの心配が無いので精神衛生上に良い。まぁ疑問があるなら"採集の神様"もよく言われるが「原産地に採集しに行ってこい」という話である。

http://www.inaturalist.org/observations/9864788

 調査不足の地域はこういうのが様々見つかっていたりするから感動が大きい。

http://www.inaturalist.org/observations/7781601

【References】

Arrow, G.J. 1939. The lucanid Coleoptera of the Caroline Islands. Annals and Magazine of Natural History (Series 11)4:579-582.

Boileau, H. 1910. Description d'un Lucanide nouveau. Bulletin de la Société entomologique de France 1910:340-343.

【追記】

 例えば"単なるお金で虫を集めるコレクター"の間で論争のある分類群があったとして、何か主張しようものなら「キミ"原採"してないよね。なんでそんな事言えるの?」みたいに突っ込まれるのがオチだから、大抵の人は論争のある虫を話題にしたくない。※"原採"とは"原産地での採集"を略された造語。

 人が虫に関わる一番最初は自然界であるから上流の作業である"原産地採集"は最も重要度が高い。重要度が高いからシビアな採集人はデータの正確性に拘る。国内採集をしていても外国僻地での事は全く分からないから未知産地開拓者は突き進む。

 データの場所に行っても誰も全く採集出来ないという場合、森林伐採で居なくなった理由以外にデータが間違いや改竄という場合もある。だから周辺地域などを調べる必要性は高い。

 あの知見が何か変、この知見も何か違和感、何故合わないのか判然としない、という混乱を自身で純度の高い作業をすれば真実を理解出来る事が頻繁にある。"大雑把な形"がデータを担保する事は無い。

 ABS問題の意義も商売人がアレコレやるほど優位性を帯びる。

 原産地にも行かず、実例と言えるだけの一次資料も使わず"机上空論*空理空論"で議論をするのは別に自由だが、"あらゆる無意味な結果論"に振り回されないように、他人の議論を聞くのは話半分くらいで良い。

 変な結果を誇示している人間というのは最初から資金繰りに困っていたり売名やなんとかで政治的論争が好きなだけで真面目に科学を考えてはいない。彼らは論争状態にある虫に不必要に首を突っ込みたがる。しかも彼らは自己言及性が全く足りない。傍目からして不毛味の多い論争は大体"盗賊団の内輪揉め"くらいに思っておいて良い。

https://twitter.com/terrakei07/status/1549667268665024517?s=21&t=8WNZ1EUC9PPbTo1wdLt6yA

机上空論

 頭で考えただけで、理屈は通っているが実際にはまったく役に立たない議論や計画のこと。

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E6%9C%BA%E4%B8%8A%E7%A9%BA%E8%AB%96/

空理空論

 実際からかけ離れている役に立たない考えや理論。▽「空理」「空論」はともに、実状や現実を考えない役に立たない理論や議論。ほぼ同意の熟語を重ねて意味を強めた語。

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E7%A9%BA%E7%90%86%E7%A9%BA%E8%AB%96/

 問題の多い時代ではあるが様々な説を一応は知っておきつつ、原産地採集など最初から自身でやってみれば何も疑問は無い。

https://twitter.com/kunperi/status/1550136277747777536?s=21&t=LPmUbOT9vYx836BdesjatQ

ウエストウッディオオシカクワガタの色々

 クワガタ界で金字塔の美形を得た種と言えば此れである。亜種はあるが1属1種で特化しているのは面白い。

 我々の童心を鷲掴みにした其の姿見は思ったよりもよく共通している。

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(インド・ダージリン産のRhaetus westwoodii westwoodii (Parry, 1862):ウエストウッディオオシカクワガタ原名亜種。90.6mmある天然スレ無し完品の超美個体。其の"野外個体ならではの完全無欠"とも言いたくなるコンディションは滅多な事ではお目にかかれない。画像の実物は典型的な"基本型"でダージリン周辺〜ネパールやブータンでしかなかなか見られず尚且つ希少な型である。今はダージリン周辺の現地ルートが途絶え其の産地の野外個体は新たに入手が出来ない。供給可能量が少ないのに需要がありすぎて原価等コストが市場競争の末に上がり過ぎてしまったそうである※薄利になり充分な費用対効果が得られない。86mmあるType個体も此の型に近い。希少な型なのに基本型と呼ばれるのには理由があって、其れは野外個体で見られやすく且つ90mmを越えるような大きめの個体でしか見られない、加えて野外個体はそもそも少ないから目立つ大型が図示される古い図鑑では大体が此の型であるという事情による。飼育個体では大型化しても基本型はあまり見られず、いくら綺麗になっても顎は先端までストレートになりやすい。ヨーロッパなど外国の博物館やコレクションでもウエストウッディ原名亜種を観る機会は滅多に無いのだが、というのも"特殊な生態をしているから"という事情があって採集されにくい種であるから。また美個体は少なく大抵は多少擦れた個体である。ダージリン周辺個体群の飼育個体群だと翅の皺模様が微視的に変化しやすく、光沢の雰囲気というか質感が微妙に異なる。ウエストウッディの資料を集めるならば必須だった資料だけに相当必死になって探していた型の個体だった)

 基本型を観ると懐かしい気分になる。観るのも大変だった時代、実物が並べば響めきを起こした人は多かった。飼育がなかなか成功していなかった時代のリアルタイムな業界の動向体験は貴重であった。

 虫の形態には生物が数億年〜数千万年かけて得た黄金比の形態が"流線形"として随所に散りばめられている。私が標本を作る際は此の流線形が見えなくならないように心がける。

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(インド・ダージリン〜カリンポンの個体群。基部内歯が細長く前方に伸びる。頭楯はあまり突出しない傾向だが突出する個体もいる。中間の最大内歯位置や突出方向は傾向があるが個体により変動する。画像中殆どが野外個体。大型は全て野外個体が揃う)

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(インド・アルナーチャル・プラデーシュ州東部産のRhaetus westwoodii westwoodii (Parry, 1862):ウエストウッディは原名亜種としては東端の分布。画像の個体は84.8mmの野外個体で超美個体。一昔前に新亜種の説が飛び交った事があり、どうも調べなくては気がすまず、また"データに信用のある個体群"が必要で入手した。たしかにエリトラの光沢が強く、大顎の中間内歯が通常より基部寄りに出やすく背面に立ちやすい。個体によってはミャンマー亜種に近しいものすらある。しかし稀にダージリン周辺でも出るフォームが出現し、これは地域変異なのだと分かる個体も出現する。ダージリン周辺の個体群でも極稀に此方側に多いフォームに近い型が出現する。側面、腹面、様々な角度からの観察を複数の個体で行った。友人達のコレクションにも手伝ってもらい、結果的には各産地の其々20♂20♀ほどの野外個体群とついでにWF1個体群があれば地域変異である事が見通せると結論を出した。なんとまぁ検証が大変なクワガタなのか)

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(インド・アルナーチャル・プラデーシュ州東部産。基部内歯は細長く下方を向きやすい。頭楯は突出傾向。中間の最大内歯位置や突出方向は傾向があるが個体により変動する。手前から1・3番目はWF1で、2・4番目が野外個体。アルナーチャル東部の個体群は飼育個体でもそんなに汚い個体は出てこない。いわゆるフェノコピーは世代を重ねて作用する事もある。原産地アルナーチャル・プラデーシュ州東部エリアが温度的に日本国内の飼育者が用意する飼育環境に近しい可能性も考えられる。ダージリン周辺の個体群も飼育環境下で累代を続ける事により遺伝子的に環境適応し形態の傾向も変える可能性を考えられる)

 飼育個体群でもそれなりに美しい個体もいる。しかし少ない。そして野外個体の方が情報の質が良い。近場で養殖された個体をインターネットで買う事と、外国僻地の野生下で採集を行う事では近づけようが無いほどにクオリティの差がある。

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(インド・アルナーチャル・プラデーシュ州中央部産のRhaetus westwoodii westwoodii (Parry, 1862):ウエストウッディは見つかっている個体が少ない。画像の個体はWF1で82.1mm。ここからの産地は飼育個体群が割合散見されやすく美個体としての資料は少ない。実際に画像の個体よりも大きな個体をいくつか私は揃えているが、いずれも外骨格の質感は飼育個体らしく粗い。飼育個体でも綺麗という個体は貴重である。インド・ダージリン周辺とアルナーチャル・プラデーシュ州東部産から出る両方のフォームが割合あまり偏らず出る産地で、此の産地だから出やすいフォームというのもある。つまり"フェノコピー"の典型例だったという事である。アルナーチャル・プラデーシュ州産から初めてウエストウッディが見つかったのは中央部で、私が初めて実物を観たのは確か2011年の時のみ"非売品"でインセクトフェアに並んだ2♂と♀であった。中型♂個体は原亜種的であったが顎の湾曲が強く、大型♂個体は中間内歯がよく伸びてミャンマー亜種と原名亜種の中間的とも思えたくらい、ちょうど画像にあるような個体だったが、このような個体はあの当時では滅多に見られなかったから新亜種説がよく交わされた。「結論を出すには野外個体の数が要るね〜」と検討したり熱い時代であった)

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(インド・アルナーチャル・プラデーシュ州中央部産。基部内歯は短い傾向がある。頭楯も突出傾向。中間の最大内歯位置や突出方向は傾向があるが個体により変動する。小内歯の突出具合も飼育個体群だとバラつきが広い。私の手元にあるアルナーチャル中央産♂個体群は全て飼育個体。♀はいくつか野外個体。飼育個体群はディンプル等で綺麗な個体が少ないし、野外個体も擦れ個体が多い)

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(インド・アルナーチャル・プラデーシュ州東南部産のRhaetus westwoodii westwoodii (Parry, 1862):ウエストウッディ野外個体85.5mm。アルナーチャル・プラデーシュ州東部産との差異はあまり無いが東部産の地域変異として特徴的な個体。なるだけ出費を抑えたかった私にとってはこういう個体でありがたい。不完品でも野外個体は貴重である。この個体は鳥に食われかけていたのを拾われたらしいとの事だった。結論として、ネパールからインド・ダージリンブータン、インド・アルナーチャル・プラデーシュ州、そしておそらくチベット東南部の個体群は地域変異の関係と分かった。なお種小名"westwoodii"の原綴りは誤りではない。後綴り"westwoodi"が明らかに誤りである。当分類群の原記載では種小名の語源が説明されていないからそもそも変更事由を類推で選言肯定してはならない※国際動物命名規約第四版条33.を参照。また人名由来のラテン語化した綴りであったとしても、原綴りで付記される語尾は"-i"と"-ii"のどちらでも正しく命名規約でも其の理解に反する条文は無い※国際動物命名規約第四版条33.4.を参照)

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ミャンマー北部産のRhaetus westwoodii kazumiae Nagai, 2000:ウエストウッディオオシカクワガタ・ミャンマー亜種。手元にあるミャンマー産亜種は殆ど飼育個体。雲南省西部からも見つかっているが特段変わらない。最大内歯が特徴的だが顎先端付近の内歯も亜種として特徴的。頭楯も変わる。艶消し傾向になる)

 ウエストウッディオオシカクワガタの個体変異や地域変異を考察するという機会はなかなか無い。確実な野外個体も数はそんなに無い。野生下では10年あたりの周期でやや個体数の多い年があるらしい。

 しかし1862年の記載以降1980年代後半になるまでは採集個体が皆無であった。其の後およそ30年少々の調査は不可欠なものだったろうに考えられる。此の種から学べる事は本当に多い。

 西はネパール、インドのダージリンやシッキム、カリンポン、ブータン、インド・アルナーチャル・プラデーシュ州からチベットまでから連続的な地域変異が観察され、ミャンマーから雲南省西端では亜種になっている。

 単純な亜種分化だけなら生物学的な面白みまでは行かなかったかもしれない。しかし地域変異があった事で進化と分化の様子がハッキリと分かる種であった。

 まさしく"いまの時代に進化をしている"と巨視的に分かる生物学的に最も面白い分類群の一つ。

【References】

Parry,1862. Further descriptions and characters of undescribed Lucanoid Coleoptera : Proceedings of the Entomological Society of London 3:107-113

Nagai, S. 2000. Notes on some SE Asian Stag-beetles (Coleoptera, Lucanidae) with descriptions of several new taxa. Gekkan-Mushi, 356, p. 2 - 9

メディアドンタヨーロッパミヤマクワガタ(?)の色々

 イタリア中部から変なミヤマクワガタが見つかっているというのは昔からある話。

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(イタリア中部産の変わった個体。手元には1頭だけ)

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(イタリア中部産のLucanus tetraodon tetraodon
Thunberg, 1806:テトラオドンミヤマクワガタ原亜種。サイズや触角形態は上の"変わった個体"と近いけど、フランスやシチリア島にいるテトラオドンミヤマを沢山観ていると変異の関係と言うには悩ましい)

https://natureconservation.pensoft.net/article/12687/

(このページで分布の事等が書いてある。また"中間型の交尾器形態はLucanus cervusに帰属する"とも書いてあるが、私が見た1個体ではLucanus pontbrianti (Mulsant, 1839)のものに似ていて、L. cervus的な感じはしない。ミヤマクワガタ属の交尾器を比較観察するのは結構難しい。見辛いパラメレに差があったり基部に特徴があったり種により万別的である。加えて雑種の疑いとか中間型となると更に難しい)

 タローニ著のカタログに"テトラオドンミヤマの巨大個体"らしき画像が見られ、ミヤマ好きの間では有名な個体であった。イタリア中部にはLucanus cervus Linnaeus, 1758:ヨーロッパミヤマクワガタ(以下"ケルブス"と略称)とテトラオドンミヤマクワガタの2種が分布していて、テトラオドンミヤマはイタリア中部から南部、ケルブスはイタリア中部から北部に多く分布する。だから混生地域で"交雑した個体なのでは?"という仮説があった。

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(「Taroni, G. 1998. Il Cervo Volante (Coleoptera Lucanidae): natura, moto, collezionismo. Milano: Electa.」より引用図。"Hybrid  Lucanus"なのか否か)

 一方で殆ど誰も気に留めもしなかった、後ページのイタリア中部産の変わった個体群も注目に値する。鮮明には見えないが触角の中間節部が短い比率から片状節の肥大節数は多いように見える。生物的に近い関係がありそう。

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(「Taroni, G. 1998. Il Cervo Volante (Coleoptera Lucanidae): natura, moto, collezionismo. Milano: Electa.」より引用図。"Lucanus cervus fabiani Mulsant & Godart, 1855"と同定されているが其の学名はLucanus pontbrianti (Mulsant, 1839)のシノニムとされる。しかしフランス南部に分布するL. pontbriantiよりも大顎が太いなどで本来の既知分類群とは一致はしない)

 さて、これらの形態の個体群に近い形態の既知分類群が一つ。Lucanus cervus mediadonta Lacroix, 1978というのがあった。

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(「Lacroix, J.P. 1978. Contribution à l'études des Coléoptères Lucanides du globe. Deux genres nouveaux et onze espèces inédites (Chiasognathinae, Lucaninae, Chalcodinae, Cladognathinae, Dorcinae). Bulletin et annales de la Société royale d’Entomologie de Belgique 114:249-294.」より引用図)

 タイプデータは"Géorgie (U.R.S.S.) env. de Tiflis (ex. Deyrolle 1964, coll. l'auteur)."と書いてある。"Deyrolle 1964"の意味も色々特定しきれず汲み取り辛いが、此の地域からは斯様な大型のミヤマクワガタは再発見が無い。

 まぁLacroix氏のデータは話半分で聞いておけば良いという話がある。

https://ivene.hatenablog.com/entry/2021/12/18/175553

 "イタリア"を示すフランス語表記"l'Italie"を筆記体か汚い字だからか何かで"Georgie"と見間違えた上、余計な気を利かせて"ソ連"の意味を示す"(U.R.S.S.)"と書き加えられた上でラベルを作り直されたのかもしれない。"Tiflis"もジョージアの首都であり付け加えられた記述に見える。トリビシは古い街並みの人界が広がる一大都市で変わったクワガタがいそうな雰囲気は希薄である。Deyrolleが作ったラベルは字が汚い事がある。Lacroix氏に売りこまれた個体のデータは怪しいという説は原産地の採集人によっては通説的である。またLacroix氏はよくラベルを作り直していた。読みづらいデータラベルが作り直されるときに誤った綴りになる事もある。あるいはジョージア産の小型種ミヤマクワガタのラベルを筆記の見た目を見間違えて付け間違えたのかもしれない。

https://www.france-jp.net/01cours/01vocabulaire/national.html

 ケルブスとテトラオドンミヤマの交雑体か否かは今のところ不明瞭。2種の分布域の重なるエリアで出現し個体数が中途半端に少ない事が問題を難しくしている。雑種がそんなに頻繁に出るの?というくらいに散見されるのは違和感があるものの現状は"神のみぞ知る"状態。同属多種が分布するインドシナの各地域の様々なクワガタ種の知見を思い浮かべると、この難しさがなんとなく解る。地域的隔離も無いから雑種だったとしたらF1で終わり累代していない。自然界で累代する同産地雑種は居らず、そんな事になれば固有のケルブスとテトラオドンなど親2種が混ざりきって1系統に集約する。遺伝子の流動とはそういうものである。対して独立した系統ならば安定したメディアドンタ型をもった一つの生物種でmtDNAを解析すれば独立したクレードに分かれる筈である。色々実験すれば何か分かろう。

https://www.researchgate.net/publication/259877812_Testing_the_performance_of_a_fragment_of_the_COI_gene_to_identify_western_Palaearctic_stag_beetle_species_Coleoptera_Lucanidae

 もし雑種ならばLucanus cervus mediadonta Lacroix, 1978の学名は国際動物命名規約第四版の第一条に従って有効な学名群から除外される。

 実際に採集に行ってみたさがある。

http://www.inaturalist.org/observations/126334781

http://www.inaturalist.org/observations/125594491

http://www.inaturalist.org/observations/124902407

(iNaturalistの記録でもイタリア中部から見つかっている事が分かる。画像の個体群を見る限り、顎の雰囲気や触角片状節が5〜6節肥大している形からケルブス其の者では無さそう)

【References】

Lacroix, J.P. 1978. Contribution à l'études des Coléoptères Lucanides du globe. Deux genres nouveaux et onze espèces inédites (Chiasognathinae, Lucaninae, Chalcodinae, Cladognathinae, Dorcinae). Bulletin et annales de la Société royale d’Entomologie de Belgique 114:249-294.

Taroni, G. 1998. Il Cervo Volante (Coleoptera Lucanidae): natura, moto, collezionismo. Milano: Electa.

Mulsant E. 1839. Description d'un genre nouveau dans la tribu des Lucanides , Annales de la Société Agricole de Lyon 2:119-121

Mulsant E. & Godart A. 1855. Description de quelques espèces de Coléoptères nouveaux ou peu connus. Opuscules Entomologiques 6.

Thunberg, C.P. 1806. Lucani Monographia. Mémoires de la Société des Naturalistes de l'Université Impériale de Moscou 1:150-173.

Linnaeus, C. 1758. Systema Naturae per regna tria naturæ, secundum classes, ordines, genera, species, cum characteribus, differentiis, synonymis, locis, Tomus I. Editio decima, reformata. Holmiæ: impensis direct. Laurentii Salvii. i–ii, 1–824 pp

マルギナートゥスヒサゴネブトクワガタの色々

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インドネシアボルネオ島の一部地域に分布するAegotypus marginatus Arrow,1935:マルギナートゥスヒサゴネブトクワガタの♀個体。希少種ゆえに発見されている個体数は少ない。ちなみに検討が難しいがAegotypusAegus属の亜属に分類すべきかもしれないhttp://www.bio-nica.info/lucanidae/aegotypus.htm

 ♂はAegotypus属らしく異なるようだが♀はGenus Torynognathus Arrow, 1935:ヒラアゴクワガタ属に近しい形態をしている。

https://fanblogs.jp/anotherstagbeetlesofworld/archive/202/0

http://fanblogs.jp/anotherstagbeetlesofworld/archive/359/0

 マレー半島スマトラ島ボルネオ島には原始的らしいクワガタが存在していてインド亜大陸・スンダランド・サフル大陸の繋がりの名残りを思わせる。

 ネブトクワガタ類というとどこから生じたのか考察が難しい。しかしTorynognathus属はネブトクワガタ類の原始的な仲間に近縁だったろうように見える。

 さて、私の手元にある5個体目のクワガタ入り琥珀の中身、コハクルリクワガタの1個体は約14mmとTorynognathus属よりはかなり大きいが実はとても似ている。

https://ivene.hatenablog.com/entry/2022/02/05/130057

 またネブトクワガタ類はアジア一帯〜オセアニアでのみ繁栄している事から陸地が孤立していた頃のインド亜大陸で生じた系統と考えられる。

 様々な要素から考えて、ネブトクワガタ類の系統はルリクワガタ類に近い祖先系統から派生したのではないかと、少し考える。

【Reference】

Arrow, G. J., 1935. A contribution to the classification of the coleopterous family Lucanidae. Trans. r. ent. Soc. London, 83: 105 - 125 + 1 pl.

ミヤシタオニクワガタの色々

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ミャンマー北部のPrismognathus miyashitai fukinukii Nagai, 2000:ミヤシタオニクワガタ・ミャンマー亜種。ミャンマー産は完全長歯型が極稀に現れる※見聞きした分だけでも10頭前後あるかないか。此の分類群は雲南西端にも分布があるが雲南側で完全長歯型が見つかっているという報は未だ無い。"ミャンマーのフキヌキオニクワガタとミヤシタオニクワガタは同産地内の別種"という椿説もあったが亜種内変異だった。原亜種とは顎の基部内歯の長さと体長の比率・腹面の模様などに区別点がある)

 ミヤシタオニクワガタは情報があまり流れてこない。

 原亜種はベトナム北部に分布し完全長歯型は未知。

 ミャンマーに別亜種がいて完全長歯型が出る。

 チベットからも見つかっていて其処の個体群は完全長歯型が出やすい。

 インド・アルナーチャル・プラデーシュ州の一部エリアからも見つかっている。

 高標高に局在する種のようである。

 ミャンマー産やチベット産は生体が扱われた事もあるが、飼育で累代されたという話は現在未だ無い。

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(大きく4エリア分が揃う。細かいエリアに分けると7エリア分。産地的には8~9エリア以上ある。色々観察してみると「なるほどねー」と感嘆する。局在している分布域ではオニクワにしては割合個体数の多い種だが、画像にあるみたいに沢山揃えようとするのは難易度が高そう)

 今後に近縁な新顔が出てくる事を見越し、また場所柄将来性が見通し不透明な産地のものもいるので多数の個体群をキープした。資料は揃えておくと未だ見ぬ新顔との比較がしやすい。

 交尾器形態は地域変異があり、分類群単位のグルーピングをするための比較には沢山の個体数が必須で、小型個体等は判別が難しい事もある。

 とりあえず私にとっては生物種分類学的に最も面白い種のヒトツ。

【Reference】

Nagai, S. 2000. Notes on some SE Asian Stag-beetles (Coleoptera, Lucanidae) with
descriptions of several new taxa. Gekkan-Mushi, 356, p. 2 - 9