iVene’s diary

世界のクワガタ観察日記

ノセオニクワガタの色々

 Prismognathus nosei Nagai, 2000:ノセオニクワガタはミャンマー北部カチン州Karadapから初めて発見されたクワガタである。原記載では1997年、1998年、1999年の3年に分けて得られた15♂3♀がタイプに指定された。パラタイプ個体群の大半は売却されていたのを私の分類屋の友人が確保された。2000年代になってカチン州チュドラジやザガイン管区からも記録されている。

 後年にチベット・メトクやインド・アルナーチャル・プラデーシュ州東部からも見つかっている。

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(Myanmar, Sagaing管区からの♂個体。ミャンマー産としては大きめ)

 最初に私自身で観察出来たノセオニクワガタ個体群は、故・葛信彦氏が生前の折、即売会で並べられたミャンマー産クワガタの数個体だった。葛氏は「(原産地から個体数が)こないんだよね〜。こんな値段でも誰も見向きもしないんだから実情が知られてないとなんだねぇ〜」と気丈に話された。実際に手元に置いている人は少なく、私みたいな物好きが多数独占的に手元に置く。不人気だったおかげで私の資料集が潤う。

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(Myanmar, Kachin州各地からの個体群。様々なバリエーションがある)

 "オフィスカツラ"の名前で標本商をされていた葛信彦氏は良心的な人物として有名で、原産地やヨーロッパで仕入れた個体群を"原価に3割増した値段"で出品すると原則を決められていた。飼育個体の氾濫もなく競合他者も居ない、データで嘘を吐く人達も少なかった時代だからこそ成立していた標本商であった。だから輸入が可能だった当時はノセオニクワガタがいくら希少でも原価が安いから安価だった。葛氏はよく"原産地に入ってルートを開拓している訳でも無いのに必要以上な高値売買をして顰蹙を買う事"を恐れてもおられた。飼育個体は信用問題上扱いづらいからと扱われていなかった。読み辛い記載文や文献に対する愚痴では私とよく気が合った。

 当時のミャンマーからは沢山のクワガタムシが日本に齎された。新種が次々と見つかり深い種層を理解させたミャンマー北部のクワガタ群にノセオニクワガタも見つけられた。生体が日本に入ってきた事もあったろうか。しかしあっても一度きりだったような。

 人海戦術で沢山のミャンマー産クワガタが採集された時代は新しい知見に溢れ眩しい時代だった。ミャンマーでの個人採集が大変である事はノセオニクワガタの原記載が載る論文に書いてある。

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(「Nagai, S. 2000. Twelve new species, three new subspecies, two new status and with the checklist of the family Lucanidae of northern Myanmar. Notes on Eurasian insects No.3 Insects :73-108.」より引用抜粋)

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(「Yukinobu Nose. 1998. NOTES ON EURASIAN INSECTS No. 2. -BUTTERFLY- 1-104; pls. 1-46.」より引用抜粋)

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(「S. Nagai, 1998. NOTES ON EURASIAN INSECTS No. 2. -BEETLE- PRELIMINARY REPORT FOR THE SUPERFAMILY LAMELLICORNIAN BEETLES FROM THE KACHIN STATE, NORTH MYANMAR, COLLECTED BY THE NOSE'S EXPEDITION.」より引用抜粋。未記載時点の文献であったがノセオニクワガタらしきクワガタの形容表現が特筆される

 ミャンマーに10年以上毎年出入りしてきた人物によっても「まとまって採れない」と言われる。ミャンマーはそういう種が多く、実は未記録未公開のクワガタも見つかっていたりする(私の所にしか無い標本資料もある)。様々な紆余曲折を経て大体のミャンマー産クワガタは暴落の途に落ち着き、現在は中国人虫屋雲南省との国境付近で近しい虫を集める。

 黄色く明るい外見は目を引いたが、ミーハー屋が多い時代であったので、短歯しかいないノセオニクワガタは日陰者のような扱われようで、長歯が目立つスキットオニクワガタ(当時はルキドゥスオニクワガタとして流れた)が人気であった。色が綺麗でも、図体は大きくとも、このバランスを好む人は今でも少ない。当時は大コレクターと呼ばれる人達も手元に少し置くのみであった。

 オニクワガタ属は昔は人気があったが今は不人気である。この謎現象について度々友人達と激論してきたが分からずじまいだった。

 そういうのもあって私は不人気だとか人気だとかいう刹那的な流行りに乗るのは嫌いになっていたので、自身がクワガタに興味を持った頃から好きだったオニクワガタ属を継続的に集中して調べている。

 世界的に種数は少ないが良い種が多い。面白い。

 だがノセオニクワガタだけはオニクワガタの中でも安定して最も不人気な希少種であった。オウゴンオニクワガタより黄金らしく艶めかしい赤金色で綺麗な虫なのだが。。

 しかしとある日の或る場所で私は"従来の概念を覆す個体群"を目にしてしまった。"なんと美しい色形の稀型だろうか、これ以上のものは無い"と思った。私はノセオニクワガタを集中して調べる事にした。

 調べ始めた当時はミャンマー産も長らく少数しか手元になかったので、とにかく数を集めた。検証にはいずれかの産地のみでも沢山の個体数が必須である。ミャンマー産は♀が少ない。

 チベット産は中華鍬甲3に掲載があるものを含めても恐ろしく少ないが、とりあえず中国から入手が成った。他に所蔵している人はどれくらいいるのだろうか。チベット産について私の所には♀が多めだが、全てホソアカクワガタ属として売られていた誤同定個体群だった。

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(Tibet, Motuoからの個体群。80KやHanmiにいる。模様が薄かったり体色や体型も雰囲気が特異的だが、中華鍬甲3の文献掲載個体群も併せて見るに地域変異)

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(Tibet, Bomiからの♀個体群。2022年8月現在迄において文献上で此処からの記録は無い)

 インド・アルナーチャル・プラデーシュ州東部産も絶対必要と入手した。この産地の個体群も長年されてて"雀の涙"くらいしか資料が無い。件の稀型も其処でしか見つかっていないが、数頭しか無いため表だっては出てこない。どの産地も本当に少ない。

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(India, Arunachal Pradesh州東部からの個体群。ここの個体群が面白い。ここからも公式記録は無い)

 私が検証を始めた訳では無いが、既知産地資料群を集め、未記載の分類群があるか否か気になり検証をした。友人達と様々な議論をし何度も解釈が変わったりと大変だったが、なんとか結論は出す事ができた。

 検証結果として産地間差異はいずれも地域変異相当で、全てノセオニクワガタであり、新たな亜種学名を付けられる個体群は無いと成った。友人達のミャンマー産やインド産資料群にも助けてもらわねば考察が難しかった。そういう生物種である。

 発見者に敬意があるため此処では特徴を公開しないが、件の稀型が其の地域変異という状況を更に面白くしてくれる。分類学的にも生物学的にも面白く、最も興味深い分類群の一つ。

【References】

Nagai, S. 2000. Twelve new species, three new subspecies, two new status and with the checklist of the family Lucanidae of northern Myanmar. Notes on Eurasian insects No.3 Insects :73-108.

S. Nagai, 1998. NOTES ON EURASIAN INSECTS No. 2. -BEETLE- PRELIMINARY REPORT FOR THE SUPERFAMILY LAMELLICORNIAN BEETLES FROM THE KACHIN STATE, NORTH MYANMAR, COLLECTED BY THE NOSE'S EXPEDITION.

Yukinobu Nose. 1998. NOTES ON EURASIAN INSECTS No. 2. -BUTTERFLY- 1-104; pls. 1-46.

Huang, H., and C.-C. Chen. 2017. Stag beetles of China, Vol. 3. Formosa Ecological Company; Taipei, Taiwan. 524 p.

【追記】

 どれくらいノセオニクワガタが不人気で認知がされないかというと、ネット上で検索してもなかなかヒットしない。

 しかし、インド産についてもチベット産についても現状ではノセオニクワガタ再調査の目処は立っていない。

 ミャンマー産はタイ人や中国人がやっているようだがノセオニはここ数年ではごく少数しか扱われた形跡がない。昔のように人海戦術とはいかないだろうから難しい。

 チベット産分布域は規制が強化され、数多の中国人虫屋が原産地を出禁になっている。

 インドの或る地域から見つかっている稀型について私は其の個体数が微々たるものと知らされているが、近頃の情勢変化により今後二度と再調査が叶わないかもしれない。