ナタールノコギリクワガタの色々
東アフリカには南北に広く普通種Prosopocoilus natalensis (Parry, 1864):ナタールノコギリクワガタの分布が見られる。
P. natalensisというと有名産地はタンザニアを中心にケニアやマラウイにも分布するとされ、特にタンザニアにはウサンバラ、ウルグル、ドドマ、イリンガなどの多産地があり日本にも過去に生体が輸入され累代もされた。しかし実際の基準産地は遠く離れた南アフリカにあり、分類については諸説ある。一般的な分類では他亜種が無い広域分布種という扱いだが、どうもそうではないらしいので以下に説明する。
(タンザニア・ドドマ産。顎の発達した♂個体は割合少なく殆どが短歯〜中歯)
(タンザニア・ウサンバラ産の個体群。一般的に"ナタールノコギリクワガタ"として頻繁に見られるタンザニア産は、沢山見比べると大顎の発達と体サイズは比例しない例が見られる)
(タンザニア・イリンガ産個体群。♂は短歯のまま大型化すると基部内歯が特異的に発達し小型♂で見られる短歯とは異なった"中短歯"と言いたくなる型になる。他にも中歯〜準大歯〜通常大歯〜完全大歯まで♂の大顎のバリエーションは様々)
(タンザニア・ウルグル産。分布域では近縁な別の"普通種"は見られず専ら1種のみ見られる。近い場所から近似するウェルナーノコギリクワガタが1つだけ記載されるも、希少性が明らかに異なっていて其方は情報があやふや。採集されるのは大抵"ナタールノコギリクワガタ")
(「Bomans, H. E., 1977. Contribution à l’étude des Coléoptères Lucanides. Description d’une nouvelle espèce du Zaïre. Bulletin Et Annales De La Société Royale d’Entomologie De Belgique 113(1-3):40-43.」より引用。スケッチ図で"ザンジバル島産P. hanningtoni"として記録もあるにはあるが、此れはデータの蓋然性が低い)
注意点としてウガンダ〜ケニア西部カカメガ産"P. natalensis"として図示される個体群は、一般的に"P. fuscus"とされる方に一致しP. natalensisでは無い。"P. fuscus"とP. natalensisの中歯♂では大顎基部内歯の形状で見分けやすい。
http://www.inaturalist.org/observations/123417571
(「Bartolozzi & Werner. 2004. Illustrated Catalogue of the Lucanidae from Africa and Madagascar. ― Hradec Kralové (Taita Publishers): 189 pp.」より引用。ケニア西部カカメガ産"P. natalensis"として図示された"P. fuscus"に一致する外形の個体)
(「Ikeda, H. 1993. Stag beetles from all over the world.」より引用。1①♂のような完全大歯は何故か日本の書籍以外では見られない。1②ウガンダ産♂は"P. fuscus"に一致する外形の個体)
(「Mizunuma, T., & Nagai, T. 1994. The Lucanid beetles of the world. Mushi-Sha Iconographic Series of Insects. H. Fujita Ed., Tokyo 1:1-338.」より引用)
(「Fujita, H., 2010. The Lucanid beetles of the world Mushi-sha’s Iconographic series of Insect 6.472pp., 248pls. Mushi-sha, Tokyo.」より引用。此処に載る"ウガンダ産"はタンザニア産と一致する外形だがデータの蓋然性が低い。"ケニア産"については東部〜中央のものと予想する)
さてしかし、P. natalensisは基準産地が南アフリカのPort Natalとされ、一般的に見られるタンザニア産"P. natalensis"個体群とは遠い産地の個体群という話になる。
タンザニア産についてはキリマンジャロ山付近のForests of Tivetaから中歯♂を基に"Prosopocoelus hanningtoni Waterhouse, 1890"として記載されていて、Kriesche, 1919等でも見られるようにP. natalensisの亜種に分類された事もあった(此れ迄に他のシノニムにされた分類群はシノニムで良さそう)。
http://www.bio-nica.info/lucanidae/PROSOPOCOILUS.htm
(ここでもP. natalensis hanningtoniと亜種に分類される。原亜種はモザンビークやナミビアからも記録されるらしい)
池田晴夫氏の図鑑ではP. natalensisの学名に"ハニントンノコギリクワガタ"の和名が併記され昔の名残が見てとれる。一般的な分類ではシノニム扱いらしいけど実際にはどうなのか。
ケニア〜マラウイの個体群は地域差はありそうだが、其のエリア内では特に亜種以上に分類する程は違わないらしい。
(「Nishiyama, Y. 2000. Stag beetles of the world. Mokuyo-sha, Tokyo.」より引用。※右のマラウイ産ペアは"P. fuscus"として図示されるが、一般的にタンザニア産で見られるナタールノコギリに近しい外形)
しかし見慣れない南アフリカ産については、タンザニアでは全く見られない型が出ている。「"P. hanningtoni"はP. natalensisのシノニムになっている事が多いが、もしかすると別な分類群なのではないか」と考え、調べてみる事にした。
原記載者Parry氏は後出記載のParry, 1870でP. natalensisの♂個体群スケッチを図示した。Bartolozzi & Werner. 2004では図鑑中に南アフリカ産を大小♂個体群を図示され、Parry氏の図示したスケッチと一致率が高い。
(「Parry, F. J. S., 1870. A revised catalogue of the Lucanoid Coleoptera with remarks on the nomenclature, and descriptions of new species. Transactions of the Royal Entomological Society of London :53-118.」より引用)
(「Bartolozzi & Werner. 2004. Illustrated Catalogue of the Lucanidae from Africa and Madagascar. ― Hradec Kralové (Taita Publishers): 189 pp.」より引用)
"P. natalensis♂"は大歯になると、タンザニア産では大顎基部が太く先端に向かい細まるが、南アフリカ産の大顎基部は明らかに細く先端までの太さは比較的変わらない。南アフリカ産の小型♂では大顎基部内側縁が比較的強く湾入する。また頭楯が微妙な二山状になりやすいが、タンザニア周辺産では殆どそうならない傾向らしい。判別点は顎基部が最も参考になりそう。
iNaturalist等では南アフリカ産のP. natalensisと思しき個体群が多数見られる。
http://www.inaturalist.org/observations/10958786
http://www.inaturalist.org/observations/9975417
http://www.inaturalist.org/observations/9601526
http://www.inaturalist.org/observations/20048338
http://www.inaturalist.org/observations/20283248
http://www.inaturalist.org/observations/23154603
http://www.inaturalist.org/observations/23466595
http://www.inaturalist.org/observations/37367886
http://www.inaturalist.org/observations/41059937
http://www.inaturalist.org/observations/67781846
http://www.inaturalist.org/observations/76920359
http://www.inaturalist.org/observations/106812345
http://www.inaturalist.org/observations/147011730
http://www.inaturalist.org/observations/148952835
http://www.inaturalist.org/observations/148955625
https://www.projectnoah.org/spottings/141806068
文献上で記録のある内陸部のみならず、街中の公園みたいなところにも分布があって、いかにも普通種である。しかしこれまで文献等では図示をあまり見られない。採集に行く人が少なかったのかもしれない。なるほど南アフリカ産の中型♂は、大顎基部の外縁はタンザニア周辺産みたいには膨らまず角張るらしく、また内歯の出方も大きく異なる。♀は大顎が細く直線的な傾向、体色は赤味が強く光沢も比較的強い。
はてさて、どうもやはり全くの別分類群に見える。実物を見てみたいが、南アフリカ近辺の個体群は手元に無く、なかなか参照できるものが無い。分類屋の友人に聞いてみると南アフリカに近い"ジンバブエ産"が1ペアあるらしい事が分かった。20頭ほど有る自身のタンザニア産"P. natalensis"を持参し、友人宅にて実物群を顕微鏡で比較観察させていただいた。観察したジンバブエ産個体群の外形はiNaturalist等で見られる南アフリカ産と外観で一致率が高く、交尾器はタンザニア周辺産の個体群と区別点は無さそうであった。とはいえどちらにしろ2生物集団としては亜種以上に異なる分類群と考えられた。此の実物比較観察で得られた収穫は大きかった。
つまりP. n. hanningtoni (Waterhouse, 1890)の分類群は有効で、種としてはP. natalensisであると考えられる。地図を参照し、おそらくザンベジ川で地理的隔離され分化したと考えられる。南アフリカ産個体群も交えて比較すれば確実になると考えられる。様々参照すればなるほど、科学的方法を考える上でも最も面白い分類群の一つ。
とはいえ此の生物種P. natalensisについては未だ難しい続きがある。
【References】
Parry, F. J. S., 1864. A catalogue of lucanoid Coleoptera; with illustrations and descriptions of various new and interesting species. Transactions of the Entomological Society of London (3)2:1-113.
Parry, F. J. S., 1870. A revised catalogue of the Lucanoid Coleoptera with remarks on the nomenclature, and descriptions of new species. Transactions of the Royal Entomological Society of London :53-118.
Waterhouse, C. O., 1890. Descriptions of new Pectinicorn Coleoptera. The Annals and Magazine of Natural History, Including Zoology, Botany and Geology. London 6(5):33-39.
Kriesche, 1919. Zur Kenntnis der afrikanischen Cladognathinen (Ool. Lucan.) – Mitteilungen aus dem Zoologischen Museum Berlin – 9_2: 157 - 176.
Bomans, H. E., 1977. Contribution à l’étude des Coléoptères Lucanides. Description d’une nouvelle espèce du Zaïre. Bulletin Et Annales De La Société Royale d’Entomologie De Belgique 113(1-3):40-43.
Ikeda, H. 1993. Stag beetles from all over the world.
Bartolozzi & Werner. 2004. Illustrated Catalogue of the Lucanidae from Africa and Madagascar. ― Hradec Kralové (Taita Publishers): 189 pp.
Mizunuma, T., & Nagai, T. 1994. The Lucanid beetles of the world. Mushi-Sha Iconographic Series of Insects. H. Fujita Ed., Tokyo 1:1-338.
Fujita, H., 2010. The lucanid beetles of the world Mushi-sha’s Iconographic series of Insect 6.472pp., 248pls. Mushi-sha, Tokyo.
Nishiyama, Y. 2000. Stag beetles of the world. Mokuyo-sha, Tokyo.
【追記】
近似他種でタンザニアで近しい分布をするProsopocoilus werneri Bomans, 1999:ウェルナーノコギリクワガタの記載が有るが、此れについては難しい問題もある。2♂5♀で記載されたみたいだが、♂は文献にも図示があるホロタイプの38.5〜39mmの1個体以外見た事が無く、また図示されるアロタイプや博物館にある数頭の♀は外見上P. n. hanningtoniと見分けが付かず本当に此れなのか分からない。Bartolozzi & Werner. 2004に記述のみある44mmの♂はどんなだろうか不明瞭。原記載では交尾器の検討も見られず難しい。二次林の薮の中の枝から採集されたらしいも、変わった個体はホロタイプ以外に未だ見られない。実はP. n. hanningtoniの間性個体だったという可能性は無いのだろうか、気になるところ。。
(「Bartolozzi & Werner. 2004. Illustrated Catalogue of the Lucanidae from Africa and Madagascar. ― Hradec Kralové (Taita Publishers): 189 pp.」より引用。頭部や前胸は特異的なP. werneriのホロタイプ♂。ファベールノコギリクワガタの雰囲気も垣間見えるが)
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とりあえずP. natalensis、P. a. antilopus、"P. fuscus"の交尾器を全個体分で比較観察してみれば、なるほど似てはいるが形態比率と外形特徴に其々100%安定した相関が見られる。
https://ivene.hatenadiary.jp/entry/2023/01/09/235146
(此れ等はコンゴ民主共和国の"P. fuscus"野外個体群。Nord Kivu周辺が代表的な産地でGoma近郊産などはよく見られる。代表的なコンゴ民主共和国産"P. fuscus"と、巷で出回る"カメルーン産アンティロプス"と称される個体群とで特段の区別点は無い。P. a. antilopusとは♂では交尾器全体に対する陰茎部のサイズ比率、P. natalensis♂とはパラメレ形態で、♀では他2種と陰具片形状で判別可能の模様。コンゴ民主共和国では中標高で多く見られるがIturiのKirimaなど比較的低標高の個体も手元に有る。ケニア西部も併せ分布記録地域を見れば平地的な森林の例が見られ、なるほどだからコンゴ民主共和国東部の南北での分布域が広大らしいと察せられる)
(コンゴ民主共和国Nord Kivu, Kanyatsi産。光沢の強い個体も存在する)
(コンゴ民主共和国Nord Kivu, Kasuo産♀個体群。見た目はアンティロプスそっくりだが交尾器は"P. fuscus"と一致する形態。他産地でも見られる"P. fuscus"の地域変異と考えられる)
("ウガンダ・ヴィルンガ産"とあったが、ヴィルンガはコンゴ民主共和国側にある。採集時期は不明で、ウガンダとの国境付近なので其の辺りの山塊の個体との理解のデータ。暗色傾向の♀個体)
(コンゴ民主共和国カタンガ地方の♀個体。カタンガ地方産は大顎が細い傾向が見られるが個体数が少ないため解釈は難しい)
(「Mizunuma, T., & Nagai, T. 1994. The Lucanid beetles of the world. Mushi-Sha Iconographic Series of Insects. H. Fujita Ed., Tokyo 1:1-338.」より引用。カタンガ産)
(ケニア西部カカメガ産。頭部〜大顎の発達が良く光沢もやや強いが変異内と考える)
(ザイール産"P. fuscus"として輸入された初期累代個体群)
(日本国内で2005年頃から"カメルーン産アンティローペノコギリクワガタ"として出回り始めた、画像の個体群は其の初期累代個体群。外形及び交尾器形態は遠く離れたコンゴ民主共和国産の"P. fuscus"個体群と変わらない。此れ等や此れ等に酷似する"カメルーン産"は真偽不明のデータと考えるが"殆ど限りなく黒に近いグレー"の信用度。論文には使用出来ない個体群である。。此れ迄に"間違いなくアンティロプス"と言える生体を日本国内で見た事が無い)
http://www.inaturalist.org/observations/141521271
(iNaturalistだとガボン産のP. a. antilopusが見られる)
しかし確実に同定可能な個体群を沢山揃えねば、此のグループは識別が少々難しい印象がある。とりあえずマトモなデータ資料が集まりにくい時代になってしまっているが、だからと言って"杜撰な方法"に逃げてしまえば本当の事は一生分からない。
(ちなみに此れ等はP. a. antilopusでも"P. fuscus"でもP. natalensisでもなく、未記載かP. camarunus等のシノニムになっている既知分類群か不明な生物集団個体群。よく他の既知分類群と誤同定されてある独立種。2000年初頭の頃に生体が日本に輸入され累代された事もあったらしく画像中の幾つかは其の頃のWF1。入手時もやはり誤同定されていた。♂外形は他の近似する既知種群と紛らわしい。♀は光沢が比較的弱く特異的だが"ファベールノコ"と誤同定される事が多い。交尾器の大量且つ精密な観察をしてみなければ、此れ等が独立種だとは全く分からない)
アフリカ産ノコギリクワガタに限らないが、♂交尾器の比較は陰茎部を引き出して見比べる必要がある(少々難しい)。特筆して面白かった事にP. natalensisの♂交尾器は"P. fuscus"に、♀交尾器はP. a. antilopusに似た雰囲気の形態が見られた。交尾器の観察というのも大量で精密にやってみて初めて分かる事が沢山ある。科学的分類の面白さは此処にもあるのだと。
【Reference 2】
Bomans, H. E., 1999. Description d’une nouvelle espèce de Prosopocoilus de Tanzanie (93e contribution à l’étude des Coléoptères Lucanides). Entomologia Africana 4(1):29-32.