iVene’s diary

世界のクワガタ観察日記

キルクネルノコギリクワガタの色々

 西アフリカのコートジボワール南方周辺域低地にてProsopocoilus kirchneri Ipsen, 1999:キルクネルノコギリクワガタの分布が見られる。調査例の少ない地域に生息する分類群であるが文献上では希少とされる。

https://www.zobodat.at/pdf/Facetta_18_0002-0005.pdf

f:id:iVene:20221224214854j:imageコートジボワール南方産P. kirchneri。手元にある♂個体は小さくかわゆいサイズであるが此れでも立派な成虫の♂である)

 どうも同所〜近域に分布するらしいP. m. modestusによく似ているが別種と分類される。

https://ivene.hatenadiary.jp/entry/2022/12/12/220251

 大抵の文献では模様の出方や幅広な体型で見分けられるかのようにされる。しかし此の程度の外形差が変異か否か文献上からは分からなかった。P. kirchneriではP. m. modestusのような長歯型の発見例は出てきていない。如何なる分類群なのか。

f:id:iVene:20221225003741j:image(「Bartolozzi & Werner. 2004. Illustrated Catalogue of the Lucanidae from Africa and Madagascar. ― Hradec Kralové (Taita Publishers): 189 pp.」より引用。ホロタイプ♂個体とパラタイプ♀個体は此の図鑑で大きく図示がある。前胸が広い比率の体型。模様が明るく前胸背外縁付近の模様はある程度の幅があり、前胸背中央部が黒化しメリハリのある形になるか前胸背中央部が明色化して滲むかになる

 実物が手元になかった頃は結構難しい気分だった。不明瞭な分類だと深い話をしづらい。各文献を読む限りでは模様以外の分け方が微妙過ぎるようにも見える。

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f:id:iVene:20221224215249j:image(「M. Baba. 2008. A supplement of "The Lucanid beetles of the world, Mizunuma T. & S. Nagai, 1994": genera Prosopocoilus, Nigidius and Figulus from African region. Gekkan-mushi (450), 19-31.」より引用。此の報文ではP. kirchneriと"P. maculatus"と誤同定されるP. m. modestusとの差異が説明されていたが、どうも図33のガーナ産♀個体はP. kirchneriのように前胸が広い比率の形態でP. m. modestusには見えない。此の図示のみでは、解釈によっては"2分類群は単なる一分類群内の変異"であるようにも捉えられる

 文献のみでは明瞭な事が分からなかったため実物を探して入手した。これがなかなか大変で、西アフリカの特産種は滅多に資料入手の機会がない。採集に行く人が滅多にいないからである。分類屋をやっている私の友人も近い時期に運良く入手され、見せていただくと似たサイズの個体群だった。

 比較してみたところ、やはりP. m. modestusよりもP. kirchneriの方が前胸が広い比率の形態をしている。交尾器は大きく異なっていて♀交尾器は特に判別しやすい。このような比較をしてみるまではモヤモヤが晴れなかったが、2分類群の関係性は比較観察にて全くの別種である事を示していた。

 此のあたりの西アフリカ産ノコギリクワガタ群を俯瞰してみると、ヒマラヤ等に産するパリーノコギリクワガタ近縁グループの分類群に似た雰囲気を見てとれる。アフリカ産Prosopocoilus属はインド〜インドシナ地域の種群との繋がりが垣間見える。ちなみにアフリカ大陸のクワガタムシなどは殆どの種がサヘル地域よりも南に分布する。

 これまでの考察からインド亜大陸にて生じたノコギリクワガタの系統がユーラシア大陸と繋がってからアフリカ方面へ移動したと考えられる。ユーラシアとインド亜大陸が繋がった場所は、おそらく小スンダ列島が現在ある緯度あたりと考えられ、スマトラ島などインド亜大陸周辺がインド亜大陸の北上に引き摺られたような配置になっている。およそ数千万年前にインド亜大陸からユーラシア大陸の東西へProsopocoilus属系統の大移動があって、今のような沢山の分類群の分布が東西広くに見られると考えられる。

 P. kirchneriは西アフリカで独自の分化を成したのだろうと考えられるがP. m. modestusとは混生しなかった時代があったから分化の機会が生じたのではなかろうかと予想する。P. m. modestusは後からガーナ以西に侵入した系統と考えると、予想程度だが辻褄の合うシナリオを想い描ける。

 此のように明瞭な分類が出来れば更に深く様々な推論を考え、更なる発見に向かう仮説考察もし易くなる。比較考察によってそうしたロマンに思考を落としてくれる科学的に最も面白い分類群の一つ。

【References】

Ipsen, R. 1999. Beschreibung von eine neuen Art der Gattung Prosopocoilus Hope et Westwood 1845 aus West-Afrika. Facetta. Berichte Der Entomologischen Gesellschaft Ingolstadt e.V. Gaimersheim 18(2):2-5.

Bartolozzi & Werner. 2004. Illustrated Catalogue of the Lucanidae from Africa and Madagascar. ― Hradec Kralové (Taita Publishers): 189 pp.

M. Baba. 2008. A supplement of "The Lucanid beetles of the world, Mizunuma T. & S. Nagai, 1994": genera Prosopocoilus, Nigidius and Figulus from African region. Gekkan-mushi (450), 19-31.

【追記】

 "種"を眼で視覚的に捉えられれば、理解が一足飛びに進むため思考がシンプルになり晴れやかな気分になる。分類学は斯くあるべきかと考える。しかし人によっては統計学を使い地域変異に学名を付け、国際動物命名規約第一条に跳ねられる。

 遺伝子機能的にも、あらゆる生物学分野を考えても、利便性を考えても、地域変異がいくら偏っていたとして100%で見分けられないならば其れに対し分類群の学名を記載し有効とすべきとは思えない。種概念の幅が広まれば研究者は実績を得やすくなるが別分野からの考察が煩雑化する。曖昧な細分化を基準にすればモデル生物なんかは全ての系統に種学名が付くようになりかねないし、ヒトであれば人種や民族により分類が可能となってしまい少数民族差別など促しかねない。

https://twitter.com/neologcuter/status/1607554851814387714?s=46&t=mAptFLv3_5Pr1Qq4Eaf9zg

https://twitter.com/nalltama/status/1606933181160390657?s=46&t=piz4DcrmB0b1dEXRVH-Plg

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f:id:iVene:20221224232602j:image(「S. Nagai., 2008. クワガタムシの大顎 〜分類に関するよもやま話〜. Gekkan-mushi (450), 54-55.」より引用。永井信二氏の持つ分類基準が説明される記事では、当blog記事では少々時代遅れかもしれないが一時期を賑わせた"進○郎構文"的な基準で分類されていた事が読みとれた。まさかそんなネタを先駆的に分類に用いてられたとは。。しかしまぁ確かにあの頃は情報収集が今ほど便利ではなかった

 問題点を説明しようとすると、例えば"統計を生物種分類学に使用するのは如何なものか"という話から考える。一つの生物種には複数の亜種や地域変異が含まれる可能性がある。そして統計データを加えて"分ける"という行いが何になるのか。

 統計データはたしかに"此の時代では個体数が多い"や"此の山ではサイズが大きくなりにくい"など、細かい事で分けて考える事により別角度からの視点を得られ、種や亜種の分類よりも低位、あるいは無関係な考察について役立つ事もある。それも分類群の理解を出来た後でないと難しいが。

 しかし統計による比較というのは、データの数量を増やせば増やすほど絶対に差が出るような、目的や対象によっては狡い比較方法になりうる。だから生物種分類学で統計データの比較を使用するのは憚られる。例えば誰かのコレクションと、また別の人のコレクションで"同分類群とされる資料群の比較"を統計で頑張れば手法により有意差が必ず出る。種・亜種分類の最大根拠にしてしまうと、実質"戦わずして精神的勝利する"やり方でしかなくなる。

 よく"統計のマジック"と呼ばれ、統計による比較の意味を知らない人は騙されてしまう。だから統計を使用する際は比較要素が確率的現象であるか否か等を前提として考え慎重に結果を考察する。

http://hamap.main.jp/menu/?p=236

 そう考えれば、眼に見えて分化の自然史が予想出来る分類と、そうでない分類とでは、分類のクオリティに途方も無い差があるという事も理解出来てくる。論文上で学名が存在しても、空論では実質において種や亜種の分類群を定義した事にはならない。

https://shigoto-nayami.info/work/10418/

 分類が目的になっている分類は視野を狭める。大義を忘れた"研究モドキ"は古典にはならない。

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(漫画「瑠璃の宝石」より)

https://books.google.com/books/about/%E7%91%A0%E7%92%83%E3%81%AE%E5%AE%9D%E7%9F%B3_1.html?hl=ja&id=BjoAEAAAQBAJ