iVene’s diary

世界のクワガタ観察日記

キクロマトイデスミヤマクワガタの色々

 キクロマトイデスミヤマクワガタLucanus cyclommatoides Didier, 1928は北ベトナムファンシーパン山を中心に雲南省南東部を跨ぐ山脈に生息する。

 近似別種の既知分類群にフォルモススミヤマクワガタやタカクワミヤマクワガタがあり「この辺りの分類を上手く理解出来ない」と言う人も多い。特にフォルモススミヤマとキクロマトイデスミヤマの関係性は混乱しがちである。実際は別種である。

https://science.mnhn.fr/institution/mnhn/collection/ec/item/ec3737

(担名タイプを所蔵する博物館もシノニム扱いをしている。しかしフォルモススミヤマの分布するラオスからは完全にキクロマトイデスミヤマと言える個体を私は見た事が無い。ちなみにフォルモススミヤマの雲南省産♀タイプ個体はデラバイミヤマと見通される)

 採集人がいなかった頃は希少種という人もいたが、ベトナムのサパ・ラオカイにあるファンシーパン山から多量の個体群が人海戦術で採集され業界では普通種の扱いを受けるようになる。2013〜2015年あたりからラオカイ南方〜イエンバイ、北の雲南省近域からも沢山採集され同じく普通種扱いである。

 ファンシーパン山の個体群は色彩以外の形態変異が少なく、細い顎、湾曲位置、内歯の出方は同じような個体が多い。

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ベトナムのサパ・ラオカイ、ファンシーパン山の基本型。見た目は良いが見慣れた形であり、社会的認知から適した表現を付けるならば"格調高い外形のド普通種"。2022年現在は売れなくなった種であるため採集されないからかあまり見ないが、数年前まではebayでのチェックで、暫く見たくない気分に度々なったくらい大量に散見した思い出ばかりが脳裏に浮かぶ)

 しかし実物を前にすると普通種にしては美しく、恰も希少種であるかのように錯覚するような見目麗しさがある。現状では飼育が難しいらしく、基本的に野生下採集品しか目にされる事は無い。まぁ今後じっくり飼育しようと言う人が出てきそうにもない。

 長年に亘るダンピング・大量供給ゆえに原価が底値付近で不動である。

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ベトナムのサパ・ラオカイ、ファンシーパン山の顎の発達が弱い型。"ミニチュアのカンターミヤマ"のようでもある)

 ファンシーパン山辺りからしか来ていなかった頃は殆ど基本型しか見られなかった。後に変わった型の出るサパ南部や、イエンバイからの個体群も稀型などを資料も取り寄せた。雲南省の個体群は基本的にファンシーパン山の基本型に近く稀型はあまり見ないから入手していない。

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ベトナムのサパ・ラオカイ産。山のデータは不明だが恐らくファンシーパン山。顎が太く長い個体は少ない)

 ラオカイ南方付近にも少ない型が出る。しかし此の地域の個体群は近年見かけないようで、2012〜2015年辺りしか目にしていない。ヴァンチャンの村から入ったエリアと聞いている。

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ベトナムのラオカイ南方に産する個体群は暗色型が多く、また顎は細く湾曲位置は比較的基部寄りになりクラーツミヤマのような型の個体も現れる)

 イエンバイ産とされる個体群も更に面白い。ただし、これも2015〜2016年辺りにしか見かけなかった。2017〜2018年以降の"イエンバイ産"は稀型が混じらずであった。詳細産地まではデータされないが、稀型の出やすい山塊があるかのような話であった。

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ベトナム・イエンバイ産。右顎は奇形だが、顎の最大内歯がよく発達する型が見られる時期があった。イエンバイ・ムーカンチャイ産とあったが、ムーカンチャイは広く"特殊な変異"が出やすい山塊が幾つかあると予想ができる)

 キクロマトイデスミヤマは分布域の南ほど変異が出やすい事が分かる。とはいえ基本型が殆どを占めるため、変異といってもあくまで"稀型"の出現率の話である。

 地域変異というのは稀型を観るのに良い資料が多いので、安いのならばとりあえずは参考に欲しい。しかし稀型というのは一見新種のようにも見えるため、2015年前後のイエンバイ産が出始めた頃では一瞬高額になっていた。

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(これもベトナム・イエンバイ、ムーカンチャイ産。フジタミヤマクワガタのような内歯の配置、拡がりのある顎湾曲、最大内歯はやや基部寄りになり前は向かず基部側を向こうとする。此の型については、無尽蔵にキクロマトイデスミヤマを見てきたなかで此の1頭しか見知らない。絶対必要と入手したが7ドルであった。同型の追加は未だならない)

 一応のため稀型の資料は要したから入手している。しかし「稀型とはいえまた出るかも」と待ったものの追加は出てこない。稀型については"勘違いするくらい綺麗な奇形"という可能性も想定の内であるため、再現性の程度など知っておきたかったりする。

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(♀は結構珍しく、あまり採集個体群に混じらない。手前がイエンバイ産で、奥がサパ・ラオカイ産。フォルモススやタカクワとは前脚ケイ節の形で判別は容易)

 あまりにも安価である為、相手にされる事が少ない生物種ではあるが、実際には"思わぬ普通種に地域変異がある"という事を気付かせてくれる生物学的にも最も面白い分類群の一つ。

【Rreference】

Didier, R. 1928. Description d'un Lucanide nouveau de la Faune indo-chinoise. Bulletin de la Société entomologique de France:51-53.

【追記】

 キクロマトイデスミヤマは今なお安い。歴史的に長らく安価であるため、今や如何に外国産で格好良く稀型であろうが供給量が減ろうとも安価である事が不動である。私の買った底値は大型不完品だった1ドル、完品大型や格好の良い稀型でも1500円を上回った事が無い。小型♂個体群に至っては貰い物やベトナム産の未同定セットに混じっていた個体だからタダ同然であった。

 "あまりにも安価且つ大量供給されたゆえに如何に格好良くとも滅多に買われなくなった"という、収集屋の認知を考察する上でも面白い種である。安価で色々な考察が出来るというのは資金力が無い虫屋にとって良いクワガタである。普通種は安いから良いのである。

 ラオス北部に分布があるフォルモススミヤマはまだ少ないが、ベトナムで時々キクロマトイデスと混じるタカクワミヤマは同じくらい安価になっている。しかし"タカクワミヤマ"については認知のされ方が微妙なままである。

 キクロマトイデスミヤマの♂外見の見分け方は大顎先端の内歯位置、顎湾曲、頭部形態など、♀は前脚ケイ節で、タカクワミヤマなどと見分けられる。

 タカクワミヤマやフォルモススミヤマは、キクロマトイデスミヤマとは別種のようで♂交尾器の基節後縁の窄み方を観る。しかし生体では交尾器に体液が回っているため硬さがあるが、死虫は乾燥し塑性変形をしてしまう事があるので、標本を作製する際は交尾器の生体時形態を出来るだけ維持するように注意しなくてはならない。

https://www.researchgate.net/figure/4-2-Lucanus-marazziorum-nsp-3-4-Lucanus-formosus-Didier-3-Ban-Saleui-Laos_fig1_280554642

(この画像でも、角度的に見辛いが差異が確認可能。ただフォルモススとされている方は基節の軟組織が未だ被っている)

 また少なくない記載者が♂交尾器基節後縁を軟組織で覆ったまま図示しているが、其の部位も観る必要があると此れらの種群で理解できる。♀は交尾器の縦横長さを比較する。小さいため差異も見辛く単純に"観るだけ"では特徴を捉えにくい。

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(勿論だが本文に図示した分だけでなく、バックグラウンドでは沢山の個体で比較観察している)